皆さん、こんにちは。
事業後継者&20~40代若手中小企業経営者を応援する、株式会社SANNET・香西(こうざい) 拓也です。
今日は個人的ではありますが、今私が志事として関わらせて頂いている「コーチング」との出逢いについて少しお話しさせて頂けたらと思います。
コーチングとの出逢いは2000年9月ですから、もう16年前の事になります(随分長い時間が経ちました・・・)。
当時を振り返ると第1次のコーチングブームと言ってもいいと思います。
書店の店頭にも「コーチング~~」と言うタイトルの書籍がたくさん目に付いた時代でした。
そして、自分事で振り返るとたった一度きりの経験しかない「結婚」(今でも幸せです(笑))をした、正にその年。親元の経営する前職の会社に入社して3年ほどが経った時期でした。
サラリーマン時代は、そこそこ企業名を言えば「あぁ~、そうなんですね」と言われる程、名の通った企業に勤めていました。何故かそこにブランド感を感じていたのだと思います。
その会社を3年4カ月で退職し、親元の会社に入社しました。
何故、辞めたのか?よく理由を聞かれますが、親元の会社に正直それほどまでに思い入れがあったわけではないのですが、いわゆる「敷かれたレール」に乗った感覚です。
後継者の方なら分かって頂ける感覚と思いますが、幼少の頃から仕事場(工事現場や事務所)に連れて行かれ作業の手伝いのようなことをしていましたので、将来の事や志事の事を考える年頃には自然とアタマも気持ちも「いずれは会社に入るんだ・・・」と言う思いを持っていました。サラリーマンを辞めた理由と言うか、親元の会社に入った理由としては、そんな感じです。
親元の会社に入社して、まず感じたのが、名刺交換をしても、会社名を伝えても、サラリーマン時代のように「あぁ~、○○会社なのですね」とはならないと言うことでした。
つまり、営業でお客様と面談をしても、「おたくの会社、大丈夫なの・・・?」が標準だったのです。
憤りも感じつつ、不安も感じる瞬間でもありました。
この現実に向き合った時、初めて自分の意識の中で、「これからは如何に自分と言う存在をしっかり磨き、自分の人生を自分でデザインしていくことが大事なのだ!」と強く意識したことを憶えています。
そのことはそれからずっと私の念頭にあり、その後、たくさんのコンサルタントの方々などからいろいろなアドバイスを頂いたりしたのですが、どれも自分にしっくりこないことが多く、そのたびに「アドバイスは要らないなぁ、何故自分の話を聴いてくれないのだろう???」と言う思いが、ココロのどこかにあることを感じていました。
そんなある日。
そうです。2000年9月某日。
とある若手経営者ばかりを集めた交流会で、「面白いセミナーをするから来てくださいね」と事務局の方からお誘いを受け、参加したのが、「コーチング説明会&体験会」だったのです♪
どんな印象だったか・・・?
一言で言うなら「ビビビっ・・・!!」でした(←古いですね(汗))
それくらい「衝撃的」でしたし、もう少し詳しく説明すると「私の探し求めていたものが目の前にある!」と言うことでした。
『コーチング』の何が衝撃的だったのか・・・?
気になりますよね・・・!!
2つあります。
まず一つ目は、「自分で決めて、自分で行動してもいいんですよ」と言う背中を押してもらえる感覚。
その時の私の頭の中の映像は・・・こんな感じでした♪
極々当たり前のことかもしれないのですが、人生においてある意味「敷かれたレール」の上を歩いてきた私にとっては、とても新鮮な感覚であると同時に、高校時代の校訓であった「自由と責任」と言うフレーズが、腑に落ちた瞬間でもありました。
2つ目は、自分の事をこんなに深く聴き入ってくれる存在(=人)がこの世にいるんだ!ということです。
聴いてくれる=自分のアタマやココロの中にずっとあった思いが言葉として外に出た瞬間相手にも届くと同時に、自分自身の耳にも発した言葉は届き、その言葉を噛みしめることが出来ると言う事です。
そして、何が得られるかと言うと、自分自身について「気づき」や「発見」がたくさんあったと言うことです。
そして、その体験会では、いくつかのグループ(10名前後だったと思います)に分かれ、体験セッション(*セッション;コーチ(話を聴く人)とクライアント(話をする人)が1対1で行う対話の事)が行われ、クライアント役の募集があり、私は有無を言わず、真っ先に手を挙げ、“コーチングを受ける”と言う人生『初』体験をしたのでした。
私のコーチングとの繋がりはこうして始まったのでした。
次回は、「敷かれたレール」を生きると言うことについて私的な体験を元にお伝えしたいと思いますので、お楽しみにしていて下さい。